| 『Bambino』トップページ | ギャラリートップ |『草原のタイツ少年(vol.6)』 | ●2006.04.28イラスト1点公開 『草原のタイツ少年(vol.6)』 ●このイラストはBambino 開設5周年記念イラストとして作成しました。 なお、下記のキャプションは『草原のタイツ少年(vol.5-1)』と同じキャプションです。 ●今でこそは、多くのタイツ少年イラストを描き続けているくまさんですが ネット活動当初は『男の子』が登場する内容のタイツ絵はほとんどありませんでした。 ネット活動以前の事、『タイツ絵』に関してですがこれまで描いていた内容となりますと、現在、Bambinaでも見られる女子高生が登場する内容ばかりでした。 サイトを立ち上げる際、この内容で進めて行こうと思った矢先にちょうど巡り会ったのが、『男の子のタイツ』を応援する方々でした。 ●最初に作成した『草原のタイツ少年(vol.1)』のイラストは僕が手掛けた『タイツ少年イラスト』としては6枚目だったと思います。 最初にタイツを穿かせた男の子の絵は、『くまちゃん』の原形に当る内容でして、その最初の1枚に関しては下書きの時から、タイツを穿いている事を想定していた為、なぜかドキドキしておりました。 それ以降、完成する度に同好の方に進呈等しておりましたが、『草原のタイツ少年(vol.1)』が完成した時、サイトが完成した時に一番最初に見せた方が面白いかな?と、当時のレベルにおいて感無量な気持ちでした。 『タイツ』に関する記憶や自分自身の体験をイラストに描くのは、ちょっと躊躇したのですが、この内容で展開される方がいらっしゃらない事から『自分が楽しめる内容』とは何か、即座に決断できました。 Bambinoを立ち上げの際、テーマに沿った内容の『タイツ少年イラスト』を描かなければなりません。最初に描いたのが『草原のタイツ少年(vol.1)』(2005.04.29)でした。 自分の体験からすると、半ズボンタイツの最終は小学校入学式までの事でした。 補足するならばその頃は、今とは違って『男の子』でもタイツを穿く事が普通でありました。 子供の防寒用でもあり、お洒落なファッションでもあり、フォーマルウェアとして着用するケースが多く、そんな僕も冬の頃はタイツを穿かせてもらってました。 『タイツ』に関してはそのような心境と思い出があったので、小学生ぐらいの男の子に制服のようなお洋服に、僕の好きな色のタイツを穿かせた子供を登場させてみたらどうだろう、と言う事で一気に絵が完成しました。 これで一つのテーマが明確に出来た、と言う訳で、これ以降イラストの内容や方向性を進める確信が出来たのです。 この男の子達はどこの小学校に通っているのか、はっきりとしていません。 この子達の住んでいる背景や生活など、あまり明確にしない方が閲覧される方々に制約がありませんので、イラストを見られた方のおのおのの御想像にお任せしようと思います。 ●男の子に『セーラー服』を着させる習慣は、日本では『大正期』頃から古の写真で確認しております。 当時は『子供服』として流行っていたらしいようで、やがていつしか『女学生』の制服、と認識される事が殆どとなりました。 近年では幼稚園での制服として、見かけるようになりました。 見方によっては『ユニセックス的』でもあり、また大きな襟が印象深く、可愛らしさをどことなく演出できると思うのです。 僕にとっては言わば、『萌え』に当るのかも知れません。 (2006.04.28) ●(巻末資料)これまでの『草原のタイツ少年』イラスト 『草原のタイツ少年(vol.1)』(2001.04.27) 『草原のタイツ少年(vol.2)』(2002.04.27) 『草原のタイツ少年(vol.3)』(2003.04.26) 『草原のタイツ少年(vol.4)』(2004.05.01) 『草原のタイツ少年(vol.5-1)』(2005.04.29) 『草原のタイツ少年(vol.5-2)』(2005.04.29) ●背景の丸い電車車両について。 私事ながら、背景の丸い電車車両に興味が大いにありまして、今回は特別に加えました。4周年での『草原のタイツ少年(vol.5-1)』では名鉄モ870形を背景に描いてから、また再び電車を背景に添えてみました。(^^; *電車車両の解説 東京急行鉄道・玉川線専用車両 デハ200形 連接車であるため、定員200名 1955年(昭和30年)東急車輌にて6両製造。2車体だが1両と数える連接車であった。 連接部は車軸径が510mmと超低床車一軸台車。モノコック構造を採用、自重も22tと超軽量化。 小型台車が採用され超低床車両となった。せり出し式のドアステップが取り付けられる。 路面電車復権の声が聞こえる現在だがが、時代を先取りしすぎた感があるこの車両は、当時の路面電車としてはそれまでの常識を覆す構造であった。 その丸い車体の姿により、利用客から「ペコちゃん」の愛称で呼ばれた。 路線の大部分は国道246号の併用軌道上にあることから、道路交通量の増加、そして首都高速道路3号線の建設を理由に、玉川線渋谷駅−二子玉川園駅間は地下鉄方式の新玉川線(現・田園都市線)が建設される事となった。 玉川線の国道246号の併用軌道区間は1969年(昭和44年)5月10日に廃止され、残る三軒茶屋駅−下高井戸駅間は専用軌道であったのでそのまま残され、東急・世田谷線となった。 デハ200形は世田谷線にも入線していたが、特殊な車体構造で保守に手間がかかるため同線に転用されることなく製造からわずか14年で全車両が廃車となった。 現在1両だけ残ったデハ204は、田園都市線宮崎台駅にある電車とバスの博物館に展示されているのがせめてもの救いである。 *デハ200形は車両ナンバーが206までであるが、ここでは路面電車復権を希望して、実際にはありもしないのだが『207』号を登場させてみた。(^^; *電車路線の解説 玉川線・渋谷駅−二子玉川園間 渋谷駅−(三軒茶屋経由)下高井戸間 を1969.05.10まで走行していた。 *モ870形 車両スペック 車両数:6(201〜206) 製造年:1955 製造所:東急車輛 車種:連接 主電動機:38kWx4 駆動方式:平行カルダン 備考:ツーマン *今回の作品の御感想をお待ちしております。 サイト、イラストに関するご意見、ご感想はくまさんまでお願いいたします。 このサイトのイラスト、画像、文章のすべては『くまさん』にあります。 作品の無断転載はお断りします。 Copyright(C) by kumasan All rights Reserved.Unauthorized duplication or distribution is strictly prohibited. |