●タイツの繪本『10周年』の御挨拶
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タイツの繪本『10周年』
(2001.12-2011.12)
●タイツの繪本は2001.12から立ち上げを始めて、この度10周年を経過しました。
10年と言う月日の流れに第三者的視点から見てただただ『凄いなぁ』と感じる事がありますが、自分自身からしてはサイト立ち上げ以来、何かが変わった、と言う事もなくなのです。(汗
これは後から記す事にいたします。
まず立ち上げ当時の気持ちを記す事にいたします。
ご存知でしょうが『タイツ少年』と言うテーマでサイトを立ち上げました。これは僕が最初に制作したHPでした。
立ち上げた当初には自分自身の勢いのような『描きたいものを描き続ける』事に楽しさがありましたが、ネット活動を続けて行く度に『タイツ少年』だけでは何かと不自由を感じ始めたのです。(その理由は省きます)
そもそも過去に『タイツ少年』イラストを描いていた、のではなく・・・
『タイツ少年』絵はサイトを立ち上げる為に描いた訳です。
それより以前は冬になれば常日頃見かけている『タイツの女の子』の姿を街中で見かけては、その時の記憶を辿り絵を描いていたと言う、誰にも見せること無くただ一人だけ眺めてニヤニヤとしていた、と言う今となっては古い思い出です。
暖め続けていたイメージは『学校の制服とタイツ』と言う様子。
朝或いはお昼過ぎにたまたまとある高校のそばを歩いていて、冬になれば必然的にタイツを穿いている女子高生達の姿を見かけてます。 『タイツ』に思う気持ちと言うのは自分自身の過去のタイツ体験のこともありますが、異性のタイツ姿を見ることで自分自身のタイツ体験のこととクロスオーバーしだして来ます。(^^;
自分自身のタイツは随分昔に卒業させられてしまった訳で、ただただ羨望のまなざしでありました。
タイツに思う感情は色々とありますが、この事を突き進めるとサイトの事から離れてしまうのでここまでといたします。
絵を描きだした頃の事を少し書いてみます。
絵を描く事は子どもの頃からいつの間にか身につけた技術と言うか取得と言うか、『絵を描く事の楽しさ』をそれなりに自信を付けていました。
どちらかと言うと人物画を描くことはどちらかと言うとあまり慣れている訳ではありませんし、生活の中でテレビを観ていればアニメがあったり、マンガ等を眺めていると『こんな感じの女の子がいたらいいなぁ』と言うような表現が多々にあります。
僕の中でマンガやアニメの影響を受けなかった事はありませんし、そう言うところに意識は今でもありますがアニメ調のあの目が描けない訳です。
(最近はそれっぽくなったか?)
今現在僕が描いているタッチになったのは高校生の頃に『森伸之』と言う方の絵を見て今日に至ってます。
結果的にはややリアル調になってますが、これはこれでかえって自分らしさが出ているのではないかと。(汗
感受性の高い時期に森伸之さんの絵を見てから、これで定まってしまったのかも知れませんが、むしろいい出会いだったかも。
先ほど、常日頃見かけている『タイツの女の子』の姿を街中で見かけては、その時の記憶を辿り絵を描いていたと言う、誰にも見せること無くただ一人だけ眺めてニヤニヤとしていた、と書いてましたのでその事を綴ってみます。
今から1○年前に描いた『スクールマルチパッケージ』の麻丘めぐみさんのイメージ。
僕は過去に某青年ファッション誌で『パンストの歴史』みたいなファッションコラムにて『スクールマルチパッケージ』の写真が掲載されていたのを見ました。
その雑誌は僕が買った、のではなくバイト先で何気に置いてあった、その時は置いてあった雑誌を斜め読みしていたのです。
さて、男性青年ファッション誌なのに、なぜ『パンスト特集』掲載されていたのか?
その流れは今を持っても不明。
でも、当時はそんなレッグファッションに関する書籍などが見当たらなかったものですから、ついつい興味本位で見てました。
内容はどういう用途、歴史、材質、製造工程など、メーカーから聞いて来たような事が記載されていて、フェチな内容はまったくありませんでした。
歴史、と言うべきか。
過去の販売されたパンストパッケージの写真(5cmx5cm程度)がちらっと掲載されていたのですが、そこに写っているのは小さな写真ながらも 『セーラー服に黒タイツ』姿の女子高生らしき人物が写っているのでした。
それがモデルが麻丘めぐみさんだとか、スクールマルチだとかは知りませんでした。
スクールマルチの事は、まったく詳しくありません。僕よりちょっと年上の方ならば詳しいかも知れません。
ですから、ここではスクールマルチパッケのめぐみさんの印象の事を記載します。
もやもやとする後ろめいたもの
そんな意識は消え失せ、そこに写っているセーラー服と黒タイツという組み合わせから、衝撃が走りました。(^^;
当時は『萌え』だなんて言葉はありませんでした。
でも言い換えればそんな言葉になってしまうでしょう。
どちらかと言うと、黒タイツ、少女・・・このキーワードで僕の中ではもやもやはなくて
この少女に『ポッと』頬が赤くなるような可愛らしさ
この写真の事を忘れてはいけない
いつかこんな女の子を描いてみたい・・・
その雑誌の写真をコピーしてイラストに描いたのでした。
でも描いたのは、その当時ではなく、それから数年後だったと思います。
その頃はまだまだ自分の画力が怪しかったものですから。
『タイツ少年』だけでは何かと不自由を感じ始めたことの頃を書いてみます。
『やはり女の子絵』も必要だと感じだして来ました。
しかし、『図書館』に混じって突如傾向の異なる作風を織り交ぜるのは極めて危険ではなかろうかと。(^^;
当時使っていたサーバにはまだ余裕でしたので、ならばもう一つ別のサイトを立ち上げることを考えたのです。
HPをお持ちの方ならば体験あることですが、更新の度にサイトの主旨と異なる内容が増えて来るに連れて『別館』と称したりと別のサイトを立ち上げてたりしている様子等を諸先輩のサイト等で伺ってました。
じゃ、それならもう一つ作れば良いんじゃん。
『タイツ少年イラスト』も描き慣れて来たこともあり、しかも当時は毎週のように更新していました。
とは言え時間的に余裕があった訳ではありませんが、『タイツの図書館』の更新の合間に少しずつ描いていたことを思い出します。
しかして完成させたのが
『正統派のタイツ少女イラスト』
まぁ、実のところ『エロ』描写が描けない事を口実に、そう言う表現がなくとも確立出来る事を更新させて行く度に自信がついて行ったと記憶してます。 (でもフェチっぽいところはあったかな)
●サイトのネーミングなど
タイツの図書館を立ち上げる時にただ単純に『タイツの図書館』だけではシンプルすぎた感がありました。
その前後に何気に聴いていた布袋寅泰氏のシングル『バンビーナ』を聴いていた事から、これはいいかなぁ、と
しかしこの場合、バンビーナとは女の子の事を指すのでこれを少年風のネーミングに差し替えました。
その後にタイツの繪本を立ち上げの際にやっと本来の意味を引用する事が出来ました。
タイツの繪本にはサブタイトルとして当初『Bambina&Picture Book』と称しておりました。
『Picture Book』単に絵本と訳すのですが。
この『Picture Book』と付く洋楽の曲があります。
『The Kinks』が1968年にリリースしたアルバム『The Village Green Preservation Society』の3曲目にそのまま『Picture Book』と言う曲があります。
ボーカル・レイ・デイヴィスがおどけたような口調で歌っているのが印象的な曲であります。
(すみません、タイツ関係ありません
さて、理想とするイメージを完成させたのですが、あまり描き慣れていなかったタイツ娘の姿はいったい何等身なんだと背丈の短さに後から見直して反省ばかりでした。
当時の技術としてはこれで精一杯だったんでしょう。
これではまだまだ、自己満足を得ると言うよりも、もっとたくさん描かなくてはと言うストイックな気持ちからやがて今現在に至っているとだと自分の中で解釈しています。
これから先のページに関しても長い記述ばかりになりますが、どうぞおつき合いのほどよろしくお願いいたします。
管理人:くまさん拝
●タイツの繪本『10周年』企画リスト
●これまでの流れに付いて。
●『学校の制服とタイツ』
●クリスマスのタイツ少女シリーズ
●『スーパーミラクルタイツガールYURI』
●第1回タイツの日より
●過去の作品アーカイヴより
これまでの流れに付いて。(2011.04)
●ここでは2001.04から始めて、今現在までの流れを解説してます。
●2001.04.27 本館Bambinoサイト開設。
サイト開始は自作イラストが僅か5点から始まりました。
不足分はゲストからいただいたイラストで穴埋めをすると言う、今を思えば他力本願にも思えます。(^^;
●2001.12.08 別館Bambinoの開設。(ここの事です)
ネット活動を続けていくごとに、女の子のタイツ絵が必要だと悟り、急きょ開設。
当時は複数のギャラリーを設けていましたが、これと言ったコンセプトもなくただ点数が増えただけで増設させていた記憶があります。
●2002.09.11 10.000アクセス達成。
Bambinoでは10.000アクセス達成までに半年で突破しましたが、Bambinaでは10.000アクセス達成までに10ヶ月も要してしまいました。
恐らく、まだサイトのコンセプトが明確されていなかった事が原因だったのでしょうか。 当時は制作のバリエーションを増やす為に架空のタイツ強制の学園『福音学院』と言う学校に通う生徒の視点から描きだしました。
10.000アクセス達成はこれは一つの手応えを感じた時でした。
自分一人ではなく、人々から支えられて来た事も実感いたしました。
●2002.12.08 『サイト公開1周年企画』
●2003.01.22
『blog Bambino & Bambina Library of Tights』
の始まり
当時流行だったblog(ブログ)を始めてみました。
サイトがあるのでブログでは何を書けばいいのか解らずの連続でしたが、後に自分自身の私趣味を書く事に専念するようになりました。(^^;
●2003.11.02 100,000アクセス達成
スタート以来、地道に更新回数を増やした事と宣伝効果もあって約2年がかりで10万アクセスを突破出来ました。 またこれを機にBambinaとBambinoとのアクセス数が逆転すると言う現象になりました。(自分に取っては複雑な気持ちでしたが)
●2006.09.15 『9.6黒タイツの日ギャラリー公開』
●2006.10.06 『10.10タイツの日ギャラリー公開』
●2007.04.06 『4.6白タイツの日キャラリー開設』
とある場所にて語呂合わせで『9月6日は黒の日』と言うキャッチコピーを観た事から、思いつきで『9.6黒タイツの日』と言う事を始めたところ、功をそうしてか『10.10タイツの日』『4.6白タイツの日』と言う後追い企画が発生しました。(^^;
●2008.03.08 サーバ移転
かつてのサーバ『m78.com』の容量が足りなくなって来た事から、他のサーバへと移転する事になりました。
これは図書館以外に繪本とウムラウトさんの業績を収めた『UBtights』も同時に移転しました。
サーバ移転と同時にドメインを取得した事は我ながら自己満足でありました。(^^;
●2011.12.08 サイト公開10周年
今です。これから先にも新しい歴史を刻められたらいいなぁ。(^^;
●補足:
日本のインターネット歴史年表
あくまで管理者が興味がある内容、及び携わっている事のみ記載
管理者がネットを始めたのが2000年9月だったので、2000年からの出来事を記載。
2000年(平成12年)
7月 Yahoo! JAPAN、1億ページビューを達成
8月 検索サービス「Google」が日本語版サービスを開始
11月 Amazon.comの日本版サービス開始
2001年(平成13年)
*テキストサイトブーム
*Wikipediaの登場。
4月 DSL加入回線数が10万件を突破【総務省調べ】
6月 Yahoo! BB、8月1日からの正式サービス開始を発表
11月 weblog草創期(のちにブログと言う名前で定着)
2002年(平成14年)
8月 「Netscape7.0」正式リリース
2003年(平成15年)
3月 はてなダイアリーベータ版リリース
5月 web拍手公開
*iPodと連携した米Appleによる音楽配信サービスiTunesが成功。
2004年(平成16年)
1月 「はてなダイアリー」家庭からのアクセスが200万人超【ネットレイティングス調べ】
3月 mixiベータ版がスタート
4月 デジカメの世帯普及率が50%を超える【内閣府消費動向調査】
11月 軽量ウェブブラウザー「Firefox」の正式版v1.0が公開
2005年(平成17年)
*YouTubeの登場:動画共有・閲覧サービス
12月 livedoor Blogの登録ユーザー数が100万件を突破
mixiのユーザー登録数が200万人を突破
(12月に初加入)
2006年(平成18年)
6月 ニコニコ動画(仮)サービス開始
10月 GoogleがYouTubeを16億5000万ドルで買収
2007年(平成19年)
6月 米Googleストリートビュー提供開始。
8月 初音ミクリリース開始、その後ニコ動、PIVIXを含めた大旋風を巻き起こす
2008年(平成20年)
*Netscape Navigatorバージョン9.0.0.6をもって開発終了。
7月 iPhone 3Gを日本で発売。
8月 日本Googleストリートビュー提供開始。
2009年(平成21年)
*Twitter日本での大ブーム
*Facebook外部へのリンクがMySpace外部へのリンクを抜き世界最大となり、世界最大SNSと化する。
2010年(平成22年)
*iPadなどの電子書籍リーダが流行する。
●あとがきのようなもの
『タイツの図書館』と同文になっている事にご了承ください。
10年前、僅か5点からのスタートの時期は立ち上げそのものがうれしかった事を覚えています。
あと何年続ける事が出来るかは考えていませんでした。
それから数年間はアクセス数の数値が伸びる度に楽しくてたまらなかったです。
ただ、サイトを始めてから5年目頃から自分の中で『マンネリ化』を感じつつ、結局それから何も出来なかったのが事実でしたし、結局ただだらだらと続いてしまった事は事実でしょうか。
スタート開始の頃からの同士『らぴっどさん』がサイトを閉鎖した事で、ついに自分一人になってしまった事を感じました。
これからあと何年続ける事が出来るか?
自分でも解りません。
いつかは止めなくてはならない時期がやって来るかも知れません。
少なくとも続ける限り『正統派のタイツ少女イラスト』を描き続ける事がこれまでの、そしてこれからの課題でしょう。
お読みいただきありがとうございました。
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